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西岡恵子
株式会社cotree  
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or誰もが通らない道だからこそ、切り拓く意味がある。
「あらゆる製造業に、改善の『教科書』を」というミッションを掲げ、製造業のDX推進により日本経済にインパクトを与えていく株式会社ネクスタ。同社が開発・提供する生産管理クラウドシステム「SmartF」は、レガシーな製造業の現場業務の効率化と業務改善を支援する。紙やエクセルによるアナログな管理、あるいは各社個別のカスタマイズが必須になる高額なシステム導入に代わり、第三の選択肢となる製造業特化SaaSとして注目されている。
代表取締役の永原宏紀は、同志社大学工学部を卒業後、株式会社キーエンスに入社。営業に従事し、3年目に事業部全国1位となる。のち、父が創業したシステム会社にて、新規事業として製造業向けシステムの受託開発を立ち上げ。100件以上の製造現場へのシステム導入を経験後、2017年4月に株式会社ネクスタを設立した。同氏が語る「熱源」とは。
目次
目先の経営効率か、未来を変えるインパクトか。中長期で業界に起こせる変革の大きさこそが、ネクスタの戦い方を決める出発点だったと永原は語る。
「エンプラ向けで一部の機能に特化させる。その方がスタートアップとしての数字は積み上がるんでしょうけど、僕は本当に世の中にとってインパクトのある、他社には真似できないような事業をつくりたい、そんな思いを強く持っています」
同社が開発・提供する製造業向け生産管理クラウドシステム「SmartF」は、IT化が遅れる製造業のDXを加速させるサービスだ。
そもそも製造現場では、複雑で細かい業務フローや属人的なオペレーションが多く、システム化のハードルが高いとされてきた。いざシステムを導入しようとすると、各社のニーズに合わせた完全オーダーメイドでの開発を選ばざるを得ず、コストは1,000万円以上になるのが一般的だ。そのため、数千単位の生産計画や在庫を扱っていながら、それでも紙の伝票やエクセルへの手入力といったアナログ管理に頼る企業は今なお少なくない。
「SmartF」は、そんな業界の常識を変えるべくリリースされた。どんな企業でも導入しやすいよう、安価で汎用的なSaaSプロダクトとして設計されている。合計300以上の機能の中から必要なものを自由に組み合わせ、低コストでスモールスタートすることもでき、従来懸念となっていた導入リスクは最小限に抑えられている。
「弊社のプロダクトは300以上の機能がありますが、その中から現場に応じて必要な機能だけを使用いただける柔軟性が強みです。また、少しでも生産性高く、品質の良いプロダクトにするために、毎週20~30件のアップデートも重ねています。個別に開発するのではなく、あくまで製造業の多様な現場にフィットする一つのプロダクトとして進化させつづける。スタートアップの中でも、ここまで難易度の高い領域を攻めている会社は非常に少ないと思います」
同社が目指すのは、単なる業務の効率化にとどまらない。「SmartF」の導入によって、これまで眠っていた現場の業務データが可視化されるようになる。日々蓄積されるノウハウと掛け合わせ、システムの効果的活用や業務フローの最適化が進み、結果としてあらゆるメーカーの収益改善にも繋がっていく。つまり、サービス自体が製造業の新しいインフラとして機能する未来を描いている。
今後は、さらに機能と対応領域を拡張すべく、新たな派生プロダクトの開発も進めているという。
「間違いなく、弊社は日本の製造業を変える会社になる。そのストーリーは、創業当初から描いてきました。どれだけ難易度が高く、どこが難しく、どこが勝ち筋になるかもある程度見えている。あとはその歩みをいかに早められるかの勝負だと考えています」
今まさに日本の製造業は変わりはじめている。これまで困難とされてきた挑戦だからこそ、一歩ずつ積み重ねていく価値がある。ネクスタの視線の先には、揺るぎなく在るべき産業の未来が広がっている。
レストランに行ってもデザートは我慢、ゲームなんて言うまでもなく、お菓子やジュースは買ってもらえない。熱を出したときのポカリスエットがたまらなく美味しく感じるほど、いわゆる子どもにとって定番の楽しみは、ほとんど触れられない幼少期だったと永原は振り返る。
「基本的にお菓子やジュースは『もったいない』と買ってもらえなくて、贅沢はさせてもらえませんでした。よく怒られていた記憶もありますね。それは父の元々の性格もあるでしょうし、経営者だったことも関係していると思います」
物心つく前から、父は自分の会社を立ち上げていた。かつては関西の有名な鉄道会社で、エンジニアとして券売機の開発をしていたと聞く。為替変動の影響で赤字になった際、会社で希望退職が募られたことをきっかけに、思い切って独立することを選んだという。
父はいつも自信に満ちていて、行動力のある人だった。
「贅沢はさせないけれど、将来のためになる勉強や経験はいくらでもさせてあげるという教育方針で。火事や泥棒に遭っても、身についたものは盗まれない。だから、お金をかけた方がいいと、父はよく言っていましたね。逆に、贅沢はしてもキリがないと」
小学校高学年からは塾にも通っていたが、そもそも習い事全般にあまり興味が持てず、どれも長続きしなかった。父譲りの生意気さと、自信だけはある。しかし、当時は熱中するものもなく、最終的にはあまり真面目に勉強しないまま中学校へと上がった。
「中学最初の通信簿の成績がものすごく悪くて、すぐに父からは『塾に行け』と激怒されました。定期テストが終わった翌日も、部活の合間の休みの日も、とにかく勉強については口酸っぱく言われていましたね。友だちと遊びに行くときも、『19時に帰る』と言ったら『17時に帰ってこい!』と言われて。それを聞き流しつつ、結局19時に帰るという感じで過ごしていました」
父の厳しい言葉は適度に聞き流し、気ままに過ごしていた中学時代。しかし、途中から父子家庭になったことをきっかけに、日々の生活は大きく変わっていった。
部活から帰宅すると、くたくたになりながら自分で弁当箱を洗い、そのあとはまだ小学校低学年だった妹の面倒を見る。父は会社を経営していたので、帰りはいつも遅かった。一時は親戚のおばさんに手伝ってもらっていたが、それも徐々に難しくなり、高校生になる頃には料理や家事に追われる毎日で、体力的にも精神的にもきつい時期が続いた。
「理不尽さを感じることもあったし、周りにひとり親家庭の人がいなかったこともあって、悩んだりしんどかった時期は長かったです。ただ、その分ストレス耐性は強くなったと思います。いろいろなことで悩んでも、もがきながら前に進むとか、大変なことがあっても前向きにやる、そういった姿勢は自分のベースになっています」
どんなに困難な状況でも前を向く。あとから思えば、それは経営者にとって大切な要素だったと言える。厳しさの中で残ったものが、自分を形作る強さになっていた。
2-2. 父の背中
部活に家事にと忙しい高校生活を送るなか、気づけば大学受験の時期が近づいていた。普通の学生のように、勉強だけに集中するのは難しいかもしれない。そんな風に考えていた当時、何も言わずに支えてくれたのが父だった。
夜遅くまで働いたあと帰宅し、ご飯を作り、深夜まで家のことをこなす。翌日は誰より早く起き、一人また仕事へ向かう。厳しく不器用な父だったけれど、誰より子どもの将来を守ろうとしてくれている。言葉を交わさなくても、その思いは背中から強く伝わってきた。
父として、あるいは経営者としてのその姿に、いつしか自然と感謝と尊敬の念を抱くようになっていた。
「高校の後半から大学にかけては、父親の会社の話もいろいろ聞いていて、自然とビジネスや経営に興味を持っていました。『自分だったらもっとできる』とも思っていて。父から会社を継いでほしいと言われたことは一度もないですが、代わりに自分を越えてもいいぞとは言ってくれていましたね」
当時はまだ、父の会社で働くイメージは持っていなかった。ただビジネスの世界で結果を残し、いつか経営者として父を超えたかった。無事大学に合格してからは、そのためにしっかり成長できるよう、有意義な学生生活を送りたいと考えていた。
「大学の前半は、父に『これからはITの知識を持っておいた方がいい』と言われて、独学でプログラミングを勉強していました。将来エンジニアになるつもりはなかったのですが、どうせ学ぶなら時間のある学生のうちに学んでおいた方がいいだろうと考えたんです」
夏休みには、父の会社の子会社があったインドに2か月間ほど留学もした。滞在先のバンガロールは、現地のハイテク産業の中心地。日中はプログラミングを学び、夜はホテルで仲良くなったインド人と語り合い、さまざまな価値観に触れた。帰国後は、企業でアプリ開発のアルバイトを経験し、Javaを使って自分でソフトウェアを作れるくらいの実力が身についた。
ほかにも、個人でコンサルタントをしていた人のかばん持ちや、学生団体の手伝い、さらには友人と一緒に、外資金融やコンサルティングファームの内定者を集めた就活イベントの企画・運営に携わるなど、とにかくアグレッシブに動きつづけていた。
「ずっと自分が1番になりたいと思っていて、『もっと上に行きたい』という思いが強かったんです。だからこそ、上の世界にはどんな人がいるのかを知る必要があると思って、当時はとにかく自分から動いて、すごい人と出会いに行くようにしていましたね」
父の背中を追いかけ、越えたいという思いが、内側から自分を突き動かしていた。常に目線は高く、上を目指しつづける。その積み重ねが経験となり、気づけば自信へと変わっていった。
大学時代、留学先のインドにて
当時は起業を目指していたこともあり、さまざまな経営者が登壇するセミナーへと足繁く通っていた。もちろん1番前の席に座って、質問時間になると真っ先に手を挙げる。毎回登壇者が答えにくそうな質問を必ず2個投げると決めていて、セミナー終了後にはさらにリアルな話を聞きに行った。
「何人かの経営者の方と飲みに行かせてもらうなかで、経営していくなかではずっと良い瞬間が続くわけではなくて、金銭的な部分などきつい瞬間もあるんだと実感できて。父親の姿をそばで見てきたことも相まって、当時の自分は『経営者って結構大変そうだ』と感じたんです。その時はまだ人生をかけるほど経営がしたいとは思っていなかったので、経営ではなく事業をつくる人になれたらいいかなと考えるようになっていきました」
就職活動では「IT×金融」や「IT×コンサル」といった領域を中心に、優秀な人が集まる会社に入りたいと考えていた。とはいえ、さまざまな会社の風土を知るためにも、外資から日系大手、商社や金融など幅広く選考を受けるなか、偶然キーエンスという会社と出会った。
「なぜキーエンスを受けたかというと、就職活動をしていた中で1番優秀だと感じる人がいたんですよ。人事の責任者でセミナー運営を担当している方だったのですが、もう話が分かりやすい上に面白くてスマート。説明の仕方もそうですし、見せ方や表現の仕方、返し方全てに感動して。選考そっちのけでその人の連絡先を聞いて、選考以外で機会をもらって2時間くらい話を聞かせてもらったりしていたんです」
順調に最終面接まで選考が進んだキーエンスだが、当初は全く入るつもりがなかった。生意気な態度を貫く自分に対し、当時の人事部長は懐が広い人だった。限られた人しか座れないその席の重みを説き、激怒しながらも、人として未熟な部分を客観的に諭してくれた。
「あなたは頭でっかちで一匹狼だから、将来事業や組織づくりをしていこうとするときに苦労すると言われて、たしかに仰る通りだなと思ったんです。それから、なんだかんだビジネスで肝になる要素は営業だから、営業を学んできちんと人を動かせるようになった方がいいと。そのお話がきっかけで、本当は先に内定をもらっていた会社に行くつもりだったのを辞めて、キーエンスに行くことにしたんです」
学生時代の経験もあり、ある程度の自信とともに入社したが、実際は態度や言葉遣いなど基本的な部分から叩きなおされた。
「先輩たちからすれば、『全く結果を出していないのに、なんでこんなに偉そうなんだ』と思うくらい生意気な新人だったので、やはり営業としては可愛がられないですし、自分の考えややり方を押し付けるし、ダメダメでしたね。本当に頭でっかちで、最初は毎日何時間も怒られてばかりいました」
面と向かって一つひとつ良くない部分を指摘して、叱ってくれる。毎日根気強く怒りつづけてくれた上司には、頭が上がらない。成長するという目的があり入ったので、それを糧にしてさらに頑張る。そうして過ごすうちに、キーエンスという会社が築いてきた文化の素晴らしさが身に染みて分かるようになってきた。
「一言で言うと『当たり前のことを徹底的にやりきっている』という、それだけなのですが、徹底具合と組織の仕組みが秀逸で。もちろん成果に応じた高い給与も、高いコミットを促す一要素にはなっていると思います。ただ、それ以上に全社で『徹底してやりきる』ということに一丸となって取り組んでいる。それはもう現場で体感しないと分からない空気があって。みんな普通の人と同じ時間で、圧倒的に品質高く働いて2倍3倍の成果を出していく。それが当たり前だというカルチャーがありました」
他社が追随できないほどの高い水準で、細やかな工夫が練られている。当時の学びはもちろんのこと、のちに経営視点で振り返り、改めて気づかされることも多かった。
「本当にキーエンスに入って良かったです。キーエンスに入っていなかったら絶対に今の自分はないですし、あそこまで怒ってくれる上司に恵まれたことも、素晴らしい文化を肌で感じて、どうすれば企業が強くなり伸びるかを知ることができたのも、最高の経験でした」
ひたむきに成果を追い、一つ一つをやりきる。その姿勢が、個人の強さだけでなく、組織全体の強さをつくるのだと知った。当時体感した文化や仕組みは、何よりの財産となった。
キーエンスで事業部全国1位を獲得した時の表彰状
2年目にはチームの目標達成に向け、リーダーとして施策を考え、推進していく役割を任された。能力と向上心あるメンバーや上司にも恵まれ、チームで一丸となって目標を追求する充実感を味わえた。何よりそこでは、自然な助け合いやチームプレーが生まれていた。
「みんなで『この目標に向かおうぜ』という一体感があったんですよね。営業って、基本は自分の案件以外は詳しく分からないじゃないですか。でも、当時のチームは誰かが外出しているあいだに電話がかかってくると、知っている案件なら代わりに対応してサポートしたりするのが当たり前になっていて。みんなで頑張ろうぜという、すごく良い雰囲気のチームでした」
自分なりの施策も徐々に結果に繋がるようになっていき、最終的にはチームで全国3位という成績を収めることができた。全社的なモデルとして会議の視察を受けるようになったり、翌年には自分の考えた施策が全国で展開されたりと、社内で評価を得ることができ自信もついた。
元々キーエンスには営業の修行と、高収益モデルを学ぶことを目的に入っていた。入社前、3年目以降で上位3番以内に入ることができたら辞めようと決めていた通り、3年目に個人で事業部全国1位を取ることができたので、次なるキャリアを考えていた。
コンサルティングファームなども検討していたが、最終的にはより早く事業づくりや経営に触れられる父の会社へと転職することにした。
「当時は事業を伸ばせる人材になりたいと考えていて、父の会社の中で新規事業を立ち上げつつ、学ばせてもらおうかなと考えていました」
父の会社の社員旅行で行った香港にて、新規事業に奔走した時代
父の会社は、主に産業用の組み込みシステム開発を行っていた。当初は営業として新規開拓に奔走していたが、再現性のある事業成長は難しそうだと分かってきた。
一方で、ニーズが大きく可能性を感じたのは、製造業向けシステムの受託開発だ。社会がますますデジタル化の一途をたどるなか、今後はさらなるニーズの増加が見込めそうだと考えて、新規事業として本腰を入れて取り組むようになった。幸い学生時代のエンジニア経験が活き、現場を理解しながらシステムを設計することができた。
「やればやるほど、今は受託で開発しているものをパッケージにできるとしたら、本当に難易度が高いけれど、すごく大きな可能性があるなということが見えてきて。最初はもうがっつり赤字を出してでも、本気で投資してやらなければと思うようになって、父の会社を飛び出して、自分の会社を立ち上げることにしたんです」
2017年4月、株式会社ネクスタを設立。改めて1件1件の現場と向き合い、課題解決に取り組むなかで、やはり自社でパッケージとしてプロダクトを開発することの意義を、強く感じるようになった。
製造業の現場は複雑すぎるため、個別カスタマイズが当たり前。パッケージのシステムを売っている会社はなかった。さらに、毎回個別で受託開発をしていては、時間や金額ばかりがかかってしまい、製造業全体のIT化を進めることはできない。このままでは本質的な課題解決に繋がらないと思い、新規の受託を一切受けずに自社プロダクトにピボットするという、かなり思い切った決断をした。
「そのまま受託を続けていれば、1件で1,000万円以上の売上が立つ。それでも、覚悟を持ってピボットを選ぶことにしました」
既に受注していた案件は完遂しつつ、新規案件を全て断り、まだ売れる確証のないプロダクト開発に投資していく。当時は20名ほどの従業員を抱えていたので、キャッシュが減っていくなか焦燥感を募らせつつ、1年半ほどの期間を耐え抜いた末「SmartF」は誕生した。
製造業のために、社会のためにやりきる覚悟。創業当初からネクスタに宿るこの想いが、困難な挑戦に挑む熱の源となっている。
社会的意義のある挑戦ほど、困難はつきまとう。それでも永原があえてその道を選びつづけるのは、合理性だけでは説明できない、内から湧く衝動があるからだ。自身の「熱源」について永原は語る。
「僕は、課題が大きければ大きいほど燃えるタイプなんですよ。誰にでもできることには面白さを感じなくて、自分にしかできない事業や組織で、より大きな課題に挑み、世の中にインパクトを与えたいんです」
その挑戦とは、業界全体の在るべき姿を追求することだった。短期的な利益に走ったり、手間がかかるからと特定の道を避けたりするのではなく、たとえ回り道になったとしても本質的な改革を起こしたい。それこそ、同社が貫こうとしているスタンスだ。
「難易度が高いということは、他社にとっても簡単ではないということ。だからこそ、僕たちがそれを実現できれば、社会に与えるインパクトが大きくなる。真に世の中にとって価値があることをやっていきたい。『僕たちがやらなければいけない』という使命感を持って、日々取り組んでいます」
はじめは「1番になりたい」という、シンプルな欲求だった。その思いに突き動かされ、貪欲に成長を求めて動きつづける過程で、面白くチャレンジングな機会の数々と巡り会った。
そしていまや日本の製造業という巨大な産業と向き合い、新たな未来をもたらそうとしている。その挑戦は、これからも社会に変革を生み出しつづけるのだろう。
2025.6.27
文・引田有佳/Focus On編集部
誰かに決められた道ではなく、自分で選び取った道を歩むこと。それだけで、人生の手触り感は全く違ったものになる。意志や責任の感覚が伴うようになり、驚くほど自然に力を発揮できるようになることがある。
とはいえ、選択肢が増えた現代では、かえって迷ってしまったり、無意識のうちに「無難なレール」に乗ってしまうことも少なくない。自由とは、ときに不安も伴う。だからこそ、主体的に生きるには、勇気や自分なりの軸が求められている。
シェルパスはそんな「自分で選び取る感覚」を社会に少しずつ広げている。選択肢を増やし、誰かの人生に「選んでいいんだ」と思える瞬間を届ける。それは派手ではないけれど、確かな変化のきっかけになる。
一人ひとりが自分の人生を選び、自分の言葉で語れるようになる。自らの意志で踏み出したその先に生まれるエネルギーこそ、きっと人生を豊かで、自分らしいものにしてくれる。
文・Focus On編集部
株式会社ネクスタ 永原宏紀
代表取締役
1986年生まれ。奈良県香芝市出身。同志社大学工学部電子工学科卒業。新卒で株式会社キーエンスに入社。3年目に事業部全国1位となる。その後、父が創業したシステム会社へ転職。新規事業として製造業向けシステムの受託開発を立ち上げ、100件以上の製造現場にシステム導入を経験。2017年4月に株式会社ネクスタを設立。製造業向け生産管理SaaSのスタートアップとして、IPOを目指して日々奮闘中。